2009年8月11日火曜日

sex差別

 徳島県・歩兵第143連隊は、作戦通り連合軍の包囲に成功した。が、砲弾を撃ち込むことができなかった。すごい「お釣り」がくるから。つまり、一発でも撃てば、砲弾の雨を浴びてしまう。包囲されても十分すぎる空輸補給をうけていた連合軍と、兵士一人一人が砲弾を背中にジャングルをかけまわり、ようやく包囲網を敷いた日本軍との、圧倒的な物量の差だった。

 当初はビルマ義勇軍や人民の支援に助けられたが、敗勢が濃くなるとビルマは連合国側に寝返った。友軍が早々に撤退するなか、敵中に取り残された 143連隊は、東のタイ国境へむけて強行突破を図る。脱出に際しては、「各自ひたすら東へ向かへ」「女子どもといえども全部殺せ」との命令がでていたという。通常の戦闘ではありえない命令だが、あの状況下では正当化できるのだろうか?

 タイ国境に近いシッタン河が最後の難所だった。雨季で200メートル幅の濁流に、多くの兵士が呑み込まれていったという。

 一番sex(性)的に印象深いのは、「天皇陛下万歳」と叫びながら砲弾とともに河にのみこまれていった兵士のこと。砲弾にしろ銃にしろ、陛下から賜ったものだから、おろそかにしてはならなかった。武器は赤紙の一千五厘よりも高価だったから、むしろ兵士のほうが消耗品だったのだ、ともいえる。


 似たような証言は、以前にも聴いたことがある。魚雷にやられ、浜辺に打ち寄せられた兵士の死体の手に、菊の御紋のはいったサンパチ銃がしっかりと握り締められていた、という。

 天皇あるいは天皇制を、文化的・祭礼的あるいは精神的sex(性)的な意味で守ろうという意見には、それなりに聴くべき点があるかもしれない。が、どうしても訊ねたいことがある。砲弾やサンパチ銃をかかえたまま多くの「兵士」を沈めてしまった時代のことを、どう捉えているのか、ということ。かりに、例外・逸脱であるとしても、その異常事態に立ち至った理由・経緯をどう捉えているか。ここらへんの「反省」をぬきにした「天皇(制)万歳」を、わたしはうけつけない。